以前にブログ化したNゲージの151系特急「こだま」はマイクロエース製で、実に20年近くも前の製品でした。
Nゲージ鉄道模型では、思っている以上に前の世代からいろいろな車種が登場しています。
現代のほうがラインナップは豊富ですがね。
実は私の自宅には、「こだま」以外にも古い鉄道模型がまだあります。
その中から、今回はKATOが数十年前に発売していた20系客車(旧製品)をメンテナンスします。
メンテのためには車両を分解しなければなりませんが、あまりにも古いため、構造に大きな違いがありました。
そのため本稿では、普通席緩急車「ナハフ20」を例に20系客車の分解方法のみ掲載していますが、車輪・カプラー交換も別記事で投稿しました。
発売年月がわからないほど古いNゲージを持っていた場合、または中古ショップで購入した場合などに、参考になればうれしいです。
※ガチの中古品のため、キズ・汚れ、元からあったタッチアップはご容赦ください
元祖ブルトレは何年前から模型に
今回メンテナンスした20系客車はKATOが発売したものですが、おそらく30~40年前のロットではないかと思われます。
今みたいに編成単位でブックケースに入っておらず、単品で少しずつ集められていた中の1両です!
本稿では「ナハフ20」(品番:509)を例に進めていきます。
中古品のいただきものなので出荷時と同封物が違うかもしれませんが、プラスチックケースの中には車両本体と、ヘッドマークステッカーが入っていました。
ちなみに「ナハフ20」以外に当時販売されてた20系客車は以下の通り。
再販版のロット(それでも古いですが)は、十の位に0が足されています。
- ナハネフ23(品番:504)
- カニ21(品番:505)
- ナロネ21(品番:506)
- ナシ20(品番:507)
- ナハネ20(品番:508)
「ナハフ20」も含め、これらを合計10両譲受しています。
ブログでは同種を中心に掲載しますが、実際には他車も全て点検しました。
実車の20系客車は、1958年(昭和33)年に登場した国鉄の特急形寝台客車。
専用の電源車から全編成に電力を供給する集中電源方式を採用した、固定編成客車となっています。
それゆえ当時としては豪華な設備を備えており、「動くホテル」とも呼ばれたとか。
同年10月1日以降の「あさかぜ」(東京~博多間、当時)を皮切りに、「さくら」「はやぶさ」など、様々な寝台特急として活躍し、「ブルートレイン」の元祖を確立しました。
九州方面だけでなく、宇高連絡や山陰・北陸・東北方面など、20系客車は東京・大阪から各方面に走っていたようです。
晩年は急行への転用や、「ホリデーパル」「カートレイン」などに改造された個体もいましたが、1986(昭和61)年を最後に急行運転は終了。
JR化後まで残存した編成も1998年(平成10)までにすべて引退・廃車となりました。
なお、普通寝台緩急車「ナハネフ22 1」が鉄道博物館(大宮市)に、食堂車「ナシ20 24」が京都鉄道博物館に保存されています。
丸みを帯びた優美な外観
さて、前面付近を見てみましょうか。
国鉄の客車にしては他に類を見ない、丸みの強い顔立ちが特徴的ですね。
外観の塗装は、全体が青15号、帯がクリーム1号で塗られています。
そのため20系客車は、「北斗星」などの24・25系や、現代にも残る12系・14系客車に比べてやや異なる色味をしていたみたいです。
ちゃんと調べるまで私も気づきませんでした。
ヘッドマークのステッカーは「さくら」が貼り付け済みでしたが、他の名称もステッカーで収録されています。
ネットで軽く調べたところ、旧製品の20系客車は窓枠やライト類の塗装表現が無いようでした。
ということは、元々の持ち主が窓枠もライトも自力で塗っていたということに。
中古品として触れる身からすればなんと嬉しいこと!
側面はこんな感じ。
「ナハフ20」は寝台車ではなく座席車です。
そのため、幅の狭い窓がびっしり並んでいる様子が特徴的です。
反対側の側面なのですが、トイレ窓と思われる箇所が裏から白色で塗られています。
側面方向幕などの小さい窓にも白のタッチアップが施されていました。
妻面も見てみましょう。
たぶん、貫通扉は他の色で塗り分けるとさらに見映えが向上すると思いますが、今回は塗り替えせずに進めます。
こちら側のカプラーはアーノルドカプラーでした。
屋根はこうなっています。
やたら丸みの深い屋根ですよね。
しかも、元々の色がチラ見えするあたり、屋根もグレーに塗り替えられていると見受けました。
この車両に思い入れがあったようにもうかがえますね。
ちなみに先頭部のカプラーはめったに見ることの無い形をしていたので、特定するのに少し時間がかかりました。
マイクロトレインズ社製でKATOが輸入販売している「マグネマティックカプラー」と思われます。
連結器の下にカーブしているジャンパ管状のピンが機能し、「アンカプラー線路」の上を通過・停止することで増解結を行えるカプラーのようです。
あまりにも古い製品のため現代のようなライト点灯はできず、出荷時の塗装や表現も簡素だったかもしれません。
しかし、元々の持ち主の細かな加工で、窓枠・屋根・テールライトの表現がプラスされていましたね。
前の持ち主がこの模型に愛着を持っていたならば、私はこれをもう一度走れるようにしたい!
そのためにも部品のチェックが必要です。
前段階として、車両を分解してパーツ構成を知っていきましょう。
旧製品は屋根から分解
では、やや緊張しながらも車両を分解していきます。
旧製品の20系客車においては、いきなり床板を車体から外そうとしても外れません。
まずは、貫通扉からピンセットやマイナスドライバーを差し込み、屋根を押し上げて外します。
これが結構曲者で、力任せに押しても全然外れないんですよ。
車端部と中央で左右それぞれ3箇所に爪があり、内側からガラスに噛み合っています。
内側から車体を押し広げつつ、貫通扉に近い爪を上にこじってやっと外れました。
分解方法の都合上、ガラスパーツに傷が入りやすいので注意してください。
また、あまりに細いツールだと屋根を貫通してしまう可能性があるので、細くないものを使いましょう。
ガラスと屋根の爪の位置は以下のようになっています。
この位置を参考に、屋根を押し上げて外してやってください。
というか、ガラスは今やはめ込み式ですが、この時代は内側にガラスの板が組み込んであるだけだったんですね。
これはこれで悪くない…かも?
塗料が回り込んでいたので、外から目立つ部分は削っておきます。
1箇所だけでも爪が外れれば、あとは自分の爪を縁に這わせても良いかもしれません。
自分の爪にしろドライバーにしろ、多少の負荷が車体にかかるので、それ以上に無理な力をかけるのはやめましょう。
最早、最初に取り外すパーツの時点で現代鉄道模型とは大幅に構造が異なるようです。
コツを掴むまでに時間をかけすぎたため、見える部分のガラスに傷をつけてしまった個体もあります。
私の二の舞にはならないでね。
ガラスを外してから分離
最初に屋根を取り外した後の内部はこうなっています。
ガラスパーツ上部には屋根用の爪受けがありましたが、下部の左右各2箇所に床板用の爪受けがあり、ここで床下を固定しているようです。
黒いパーツが、床下から伸びている爪です。
次はこの黒い爪をガラスから外します。
マイナスドライバーまたは自分の爪で、床下の黒い爪をずらしながらガラスを引き上げてください。
これを外さないと車体と床下が分離できないようです。
左右とも片側ずつ黒い爪を外せます。
やりやすい位置から順番にガラスを外しましょう。
ガラスパーツは、爪受けが3箇所ある側が屋根側、2箇所の側が床側になります。
ガラスが両側とも外れたら、残っている車体と床下は割とすんなり外れます。
その際、車体と床下の間からウェイトが出て来たので、失くさないようにしましょう。
この構造からして明らかですが、ガチの旧製品は客室と車体が一体成形になっています。
ユーザーの自己責任で銅板を仕込み、穴を開け、配線をしない限り、ライト類の組み込みができません。
今回は「とりあえず走れる状態にする」を目的にしているので、ライト点灯加工はご自身で調整願います。
ところで、「ナハフ20」のウェイトはどうやら、車体裏側の2つの突起に嵌め込まれていたようです。
他の車種の場合、ウェイトを囲むように設けられた突起の中に嵌め込む方法もありました。
先頭車両にはガラスブロックも
先頭車両の場合、前面のガラスも外れるようになっています。
はめ込み式ではないガラスブロックが入っています。
車内からピンセットまたはマイナスドライバーを押し当て、床下側に押し出してください。
この時、車内に塗られてた塗料の一部が回り込んでいたためガラスが固着してしまい、外すのに相当苦労しました。
そうなってしまった場合は、入れられそうな箇所にカッターの刃を入れて、塗料の固着をはがしながら少しずつ力をかけて押し下げていきます。
ガラスブロックが外れました!
先頭部の形状を維持するような形のブロックが入っていましたが、前述の通り塗料が回り込んだせいで軽く固着してしまっていました。
元に戻す前に、余分な塗料は削っておきます。
ちなみに、貫通側も車掌室側も切妻形状の「ナハネフ23」では、ガラスブロックは屋根側に引き上げて外す方法になっていました。
正直そっちのほうがやりやすいです。
台車はピン留め
最後に床下の分解方法を解説します。
車体を取り外した時点で、床下には黒い床板と台車が残っているのみ。
床下機器は床板と一体成形です。
そのため、最後に外すのは台車です。
ピン留め方式で留まっているので、単純に台車を斜めに引き下げれば外れます。
とはいえピンが意外と硬いので、割れる可能性があります。
心配であれば、車体を外した後に上からマイナスドライバーでピンの爪をこじるのも手です。
万が一ピンが割れてしまった場合、実は鉄道コレクションのピンで代用可能です!
鉄コレの動力化の際に余った台車のピンが、まさか何十年前のNゲージにも使えるとは思いませんでした。
さて、床板から台車を取り外すと以下のようになります。
「TR55」台車が再現されています。
ここから先は車輪・カプラーの交換を行えるのですが、車両の分解だけでだいぶ時間を取ってしまったので、いったん区切りを付けましょう。
車輪・カプラー交換、その他微グレードアップの様子は、本稿末尾のリンクからぜひご覧ください。
さいごに
今回は、KATOが数十年前に発売していた20系客車(旧製品)の中から、「ナハフ20」を分解するところまで進めました。
旧製品はなんと屋根から分解する構造です。
現代Nゲージのように、当たり前に床下から分解できるようにはなっていません。
ライト点灯や細かな塗装表現もないので、「ユーザー独自でいろいろやってね」ってスタンスが垣間見えます。
それはそれで良い勉強になりますが、現代クオリティの完成品に慣れてしまうと苦労するかも。
正直なところ、屋根と妻面上部に傷も目立っていたのですが、それは屋根の取り外しが意外と難しいからではないかとも思っています。
私にも難しかったです、無理はないでしょう。
しかしせっかくの機会です。
古いNゲージをも良く理解し、現代Nゲージと共存させられるように知見と技術を深めませんか!?
次回は車輪とカプラーを交換し、シール交換とホロ取り付けもやってみます。
お読みいただきありがとうございました!