【この記事は2019年5月10日に公開したものをリニューアルしました】

こんにちは、ケンヤ(@keysTtime)です。

これは今から1年半も前のことですが、JR大船(おおふな)駅に立ち寄った際、
見覚えがあるけど全然違うラインカラーの車両が東海道本線ホームに停まっていたのです。

彼の名は「MUE-Train」。
ミュートレイン」と読みます。
あのドクターイエローと同じようなレア車両で、JR東日本の首都圏近郊の在来線に現れるようです。

車両の形こそ見覚えある人も多いかもですが
中身は全くの別物。

そんな”MUE-Train”について今回は迫ってみましょう。

 

生まれ変わった元京浜東北線

さてこの”MUE-train”、
早い話ですが以前は京浜東北・根岸線を走っていた通勤型車両でした。
その多くが房総半島に移り、こんな風に↓千葉(ちば)以西の区間で活躍中ですね

内房線・浜金谷(はまかなや)駅にて

そんな中ミュートレインは、京浜東北・根岸線から離脱した後に事業用車両としての改造を受け、
2008年に再登場したようです。

外観も、京浜東北線時代はスカイブルーのラインを纏っていましたが、
白をベースにブロックパターンのあるラインに変更され、より個性的になってます。

 

その名は「多目的試験車」

JR東日本の公式サイト(現在は削除されています…)によると、”MUE-Train”とは

MUltipurpose Experimental TRAIN

すなわち「多目的試験車」という意味を持ち、上の英表記で大文字の部分をとって
“MUE-Train”と名付けられたそうです。

その名前の通り、車内には試験データを収集する機材が多数搭載されていることと思います。
車両の形こそ京浜東北線時代とほぼ同じなものの、中身は全くの別物

ただしブラインドが下ろされているので、一般利用者が中を見ることはできません。
もちろんわたしも一切車内に立ち入りできません。

 

E235系に繋がった研究開発

では実際に何の試験を行っていたのか、その一つが
INTEROS(インテロス)」です。

正式には、
INtegraded Train communication network for Evolvable Railway Operation System
日本語にすると進化する鉄道システムのための車両統合制御ネットワーク
といい、大文字の部分をとって「INTEROS」と呼ばれています。長いね

簡単に言うと、乗客が目にする行き先表示や、乗客の目に入らない列車制御系の情報メンテナンス情報といった大量のデータを、
WiMAX」を利用して高速でやり取りでするシステムです。
これにより、リアルタイムで車両・線路・架線の状態が分かるんだとか。

リアルタイムで必要な情報が分かれば、状況に合わせた迅速な対応を行えますよね?
そうしたネットワークの発展に、ミュートレインは大いに貢献したのではないでしょうか。

ミュートレインによって重ねられたこの「INTEROS」試験の成果は、山手線の新型車両「E235系」に採用されています。

このように、一般営業を外れた209系がミュートレインとして、
次世代への技術開発のパートナーとなって、どこかで活躍しているようですね。

 

大宮近辺を中心に各線で試験走行

走行線区としては、基本的に東北本線(宇都宮線)埼京線を走行し、
実際に車両が走るときのデータを集めているとのことです。

そうした中で、時には他の路線を走行することもあるみたいですね。
だからこそわたしは昨年「MUE-Train」を見ることができました。

ですが事業用車両ということだけあり、
詳細な運行情報は公開されていません

これからこの車両を見かけたら、その時のアナタはラッキー!!
次世代の鉄道発展に向けた試験の最中ということで、期待を込めて見送りましょう。

もちろん鉄道運行の妨げにならないように注意!
例えば、個人的に写真を撮るとしても、
フラッシュは絶対使っちゃダメですからね!?

 

廃止が噂されているが…?

2020年4月現在SNSを見ていたところ、ミュートレインの廃車回送の話を目にしました。
もともと209系自体が低寿命を想定して造られていたので、それを思うといつ廃車になってもおかしくない時期になってきています。

ただ、これはあくまでSNSで見ただけの情報ですので、本当に廃車になったのかは現時点では申し訳ありませんが、明確な情報が入ってきていません。

「もしかしたら」のつもりで考えていただければ。

 

さいごに

今回はJR東日本の技術開発用多目的試験車
MUE-Train」を紹介しました。

停まってたのがほんの短い時間だったので写真をあまり撮れなかったけど、普段お目にかかれない事業用車両に一瞬でも出会えたのは幸運でした。

なのでちょっとした偶然が記事のきっかけでしたが、同車が生きていたことの証明としてこの記事を残しておきます。

今回はここまで。
ありがとうございました!